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自分の星をてがかりに ~星に祈る民の話~_b0213351_11505093.jpg


20年近く前にアフリカを旅していたとき、
満月の夜におもしろい体験をしたことがあります。

改造トラックに乗ってキャンプでアフリカ大陸を縦断するツアーで、
毎晩適当な場所(キャンプ場のときもあれば、教会や学校の敷地を借りることもある)に
テントをはって寝泊まりしながら移動するという、
まさにジプシー的生活をしていました。



西アフリカを旅しているとき、ある晩、夕食の片付けを終え、
テントで休んでいました。

眠りについてしばらくしたころでしょうか。
外がにわかににぎやかになり、だんだん騒がしくなってきたのです。

叫び声とか、太鼓の音とか、とても騒々しく、
一体なにが起きているのかという感じです。

でも、テントに鍵があるわけでもなく(あっても意味がないですが)、
見知らぬ土地でおかしな集団に囲まれても怖いので、
確認することもできず、ひたすら、その音が静まるのを待っていました。


結局、朝が来るまでその騒ぎは静まらず、わたしは眠れないまま朝を迎えました。

朝の訪れとともにその喧噪もおさまり、わたしはようやくテントの外へ出ました。
さっきまで人がいた気配はしたものの、
すでに人影はなく、いつもと変わらぬ静かな朝でした。


その日は他のメンバーも朝が遅くて、なかなか朝食にあらわれません。
いつもより遅い出発の時間になって、わらわらと仲間が集まってきました。

「昨日の満月の夜の祭りは楽しかったなぁ」
「ドゴンのビールも試したぜ」

口々にそんな話をしていたのでした。

どうも昨夜の恐ろしい大騒ぎは、昨日が満月の夜で、
そのお祭りのためだったらしいということを、
仲間の話からようやく知ったのでした。


それ以降、西アフリカのドゴンの村で遭遇した、満月の夜の大騒ぎのお祭りは、
わたしの記憶の中に長い間しまいこまれていたのですが、
最近、そのお祭りのことをもう一度思いだす機会に出くわしたのです。


それは、富士山の麓でペンションを営んでいる
星が大好きな不思議な男性に出会ったことがきっかけです。

彼は、世界中を旅行したことがあり、彼のペンションには、
世界中の珍しい品がたくさん飾られています。

オーストラリアの珍しいサボテンでつくられたマラカス、
サハラの薔薇といわれる石と砂、
アラビアの香油瓶など。

彼はまるで催眠誘導のような、意識に語りかけるような不思議な波長で
いつもおもしろい話を聞かせてくれるのですが、
あるとき彼が西アフリカのある村に住む、不思議な民族について話してくれたのです。


その民族、ドゴン族の男たちは、夜な夜な集落を出て崖を越え、
ある場所に向かう。
そこには、天井のないドーム型の建物があり、
その中に黙って入り、ある儀式をする。

建物の構造は、まるで望遠鏡の中に入り込んだかのようで、
星が手に届きそうなくらい、よく見える。
星と、自分との対話であり、イニシエーションの儀式なのだ、
というものでした。


その話を聞いてはじめて、わたしが体験したあの西アフリカの満月の晩の騒ぎが、
星との関わりの深いドゴン族によるものであり、
星に祈る民族の、意味深い儀式だったのだと知ったのです。


沖縄の久高島や、インカ帝国、太陽神を祀る宗教など、
太陽に祈るという人たちが存在するのと同時に、

この地球にはドゴン族のように、
星に祈る人たちも存在するのだということも初めて知りました。



学術的にどうなのかはわかりませんが、
満月の夜のあの祭りは、満月をたたえる祭りなのではなくて、
もしかしたら星の見えない夜を、安心して過ごすための
祈りの形なのかもしれないと、わたしは思うのです。


昼の世界は、すべてが見えるから、見失うことは少ない。
だから、なにか手がかりを定めていなくてもわりと大丈夫だけれど、

夜の世界は、まわりが見えないぶん、なにか指標となるものが必要で、
だから人は、北極星を信仰したり、動かないものを求めたりするのかもしれないなあ。


満月の夜には、手がかりになる星をみることができないから、
集まって踊って、ともに祈るのかな、
そんなことを考えたのでした。



さて。
満月の前後は、ご相談をいただくことが増えます。
迷いが出やすい時期なのかなと、わたしの体験では感じます。


勝ち組といわれるような、アグレッシブで前向きな人たちが、
「陽」の世界の人で、太陽にむかって生きる人たちだとしたら、
悲しみや苦しみとともに生きている人は、
「陰」の世界の人で、
星とともに生きている人のようだなと思います。


陰の世界の人は、
北極星のように目印になる動かない星が自分の中に必要で、
それさえ見失わなければ、しっかりと安心していられるように思うのです。

その自分の中にある星は、宇宙とつながる使命であり、
その人のいのちの意味なのかな、
わたしはそう感じています。

そして、それさえ見失わなければ、
どんな不安な夜も乗り越えていかれるのかなと。


満月の夜は、ちょっぴりそれがみえにくい。
だから、行き先がわかりづらくて不安になるのかな、
そんなふうに感じています。


西アフリカで出合ったあの満月の夜の、
不思議な祭りのようなエネルギーをあなたに送ります。

星の見えない晩の不安をとりのぞいて、
また自信をもって、
人生の旅路をすすんでいただけますようにと祈って。





最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今日もあなたにすてきなことが、たくさん起こります☆
感謝をこめて。


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暮らしのなかの奇跡☆_b0213351_9531698.jpg


豊かな森のある神社を散歩するようになって、数ヶ月がたちました。

毎日同じ場所を歩いていても、
一日たりとも同じ日はないのだと感じます。


今日は枝の先がすこしまあるくなったと感じたと思ったのは一瞬のことで、
それを記録する前に、新鮮な緑色に変わってゆき、
今はもうすっかりみどり豊かでこんもりして、
冬の細くかわいた木々のシルエットの残像すら思い出せなくなりました。


忙しくしているころ、
動き回って変化しているのは、私たち人間なのだと思っていました。
自然の悠然とした姿に比べて、人の心のうつりかわりはなんてはやいのだろうと。


でも、自然の変化も同じようにはやく、
わたしはそれに気づいていないだけだったのです。


それに気づいたとき、
変わってほしくないという執着からも、
変化できないことに対する焦りも、
はがれ落ちていきました。

それらは、わたしの主観的な思いこみにすぎないとわかったからです。


おそれなくても、あせらなくても、変わらぬはやさですべては流れていきます。


わたしたちができることは、流れにのり、活かすことだけ。


それこそが、生きるということなのかもしれませんね。



今年、生まれて初めて、楓の木に花が咲くことを知りました。
まだまだ、知らない美しいものがたくさんあるような気がします。

天国を求めて世界中を探しまわったわたしの
あたりまえの暮らしのなかに。




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八百万の神についておもうこと_b0213351_647471.jpg



八百万の神
やおよろずのかみ。

「日本人が万物にみてきた八百万の神とは、
人間のことなのかもしれない」


神在月に出雲大社で八百万の神の祠にお供えされている
お米やお酒、くだものをみて、そう思ったのです。
たくさんのお供えは、人の喜ぶものばかりだったから。


岩に、山に、空間に。
あらゆるものに神をみてきた日本人。

外の世界にみるものは、すべて自己の投影であるとするならば、
わたしたちの心は、神の清らかさが備わっていたということなのでしょうか。

少なくとも、太陽に、大地に、雨に、感謝の祈りを捧げてきた人たちの姿は
美しく、愛にあふれていて神を感じるような気がするのです。


日本の神話には、とても神さまと思えないような悪さをする神さまも登場します。
でもそんな神さまも、その神さまにしかできないことをなさっていて、
やはり神さまなのです。



八百万の神という万物の中に神をみるという行為は、
「いろんなものをありのままに受け入れ、祝福する」
ということと同義なのだと思うのです。

そして、それこそがあらゆる奇跡の源なのかもしれないと。



『A Course in Miracles(奇跡のコース)』には、
Atonement(アトーンメント)ということばが出てきます。

アトーンメントとは、贖(あがな)いと訳されますが、
聖書にさほどなじみのない日本人にはわかりにくい概念ですから、
奇跡のコースの学習をしていたときによく疑問に感じたものでした。


でも今は、こう思うのです。
「八百万の神」というわたしたちになじみのある概念は、まさにこの"Atonement"なのだと。

八百万の神。
つまり、森羅万象、宇宙に存在するすべてに神をみるということ。

それは、わたしたちの中にある神性を思いだすという行為。


「八百万の神」の精神を思いだすときこそ、
わたしたちは神とひとつであり、
奇跡を目撃しているときなのだと思うのです。
# by yuriel88 | 2014-04-15 06:41
感情とともに生きる〜ありのままを受け入れるという選択_b0213351_1432395.jpg


「癒しても癒しても、心の傷が消えない」という悩みを抱えているあなたへ。

今日はわたし自身の話をしたいと思います。


わたしもまた、たくさんのトラウマを抱えて
いきづらさを感じていた人間のひとりです。


両親が離婚したことを、
大好きだった祖父が突然に自死を選んで去ってしまったことを、
いじめられた子ども時代を、
忙しかった母に認められたかった思いを、

一生懸命に癒していたころがありました。


そして、ホメオパシー、漢方などの統合医療や、心理療法、ヒプノセラピーや
キネシオロジー、チャクラの調整といったエネルギーワークなどなど、
いろんなセラピーをその過程で学びました。

ですが、セラピーで、心理的なトラウマやブロックと呼ばれるものを手放しても、
また新たな「心の傷」がでてきたり、
癒したはずの傷にまたこだわりだしたりして、
完全にすっきりすることはなかったのです。


「(手放すという)コミットが足りないから」とか、
「もっと深い部分での癒しが必要なのかもしれない」とか、
「傷を持っていることが好きなのね」などと言われたりして、

「癒されるには、もっと(セラピーを)がんばらなければならない」と、長い間思っていました。


そして、自分の心理を分析してみて、
「わたしはかなしむのが好きらしい」とはわかったものの、
ではどうしたらいいのかというところは、答えが見つからないままでした。

人生のテーマのように横たわっている「悲しみ」をどうしたら癒せるのか、
を模索する日々が続きました。



変化が訪れたのは、仕事としてカウンセリングをさせていただいていたある日のことです。
仕事が大好きで、食事をする時間も寝る時間も惜しんでお話を聞く日々でした。
月にのべ100人から200人くらいの方のご相談をお聞きしていました。

そんななかあるときふと、
悩み、苦しみながら一生懸命にいきていらっしゃる、その姿のありのままが本当に愛おしく思えたのです。
今、悲しみの中にいて一生懸命いきていらっしゃる、その姿が尊いのだと。

その方のもっている感情が、
喜びや幸福感などのポジティブなものであれ、怒りや悲しみなどネガティブなものであれ、
すべてが生命のエネルギーであり、
問題が解決しているかしていないかは、そのいのちの輝きにはまったく関係がないのだとわかりました。


お客さまおひとりおひとりの生きざまの美しさに触れ、
わたし自身もそのときようやく、「かなしみを抱えたまま生きる」ということを
自分自身にゆるすことができたような気がします。


それから、わたしには今まで目に入っていたのに、目に入らなかったものがみえてきたのです。


あるとき散歩の途中で立ち寄った教会に、美しいマリア像がありました。
その日神父さまから、「聖母マリアは平凡なわたしたちには誰も理解することができない
大きなかなしみとともに生きた方」というお話をききました。

あの慈しみは、かなしみとともにある。


悲しみを抱えている人は、ほんとうのやさしさを持っているように思うのです。
わたしの大好きな友人にもそんな人がたくさんいます。


彼女たちは、かなしみが癒されたから、やさしいのではありません。
たぶん、かなしみとともにあるからこそ、つよく、そして人にもやさしくいられるような気がします。



悲しみや憎しみを癒すというのは、体の手当と同じことかもしれません。
擦り傷や打ち身みたいな、ちょっとしたけがや風邪くらいなら、
薬や簡単な治療で治すことができますし、
薬をあまりつかわないで、体に備わっている自然治癒力を働かせるようにすることもできるでしょう。

でも、片腕をうしなったり、目が不自由になってしまって、治る見込みがないとしたら、
それとともに生きていくしかありません。

わたしの家族もそうですが、そうして障がいとともに生きている人はたくさんいます。


逆にいうと、治せる可能性のあるくらいの傷だから、「癒す」という選択があるのかもしれません。



最近、散歩がきっかけで、街の歴史について聞くチャンスが増えました。

サロンの近くにある明治神宮は、空襲で社殿が焼け落ち、
表参道のけやき並木も真っ黒に焼け落ちたそうです。
その後明治神宮周囲の一帯はGHQの占領下におかれましたが、
オリンピックを契機に返還され、今があります。

愛する家族や住み慣れた家をうしない、大変な思いをされた方々が
それぞれにいろんな思いを抱えながら、戦後の日本を築いてくださいました。
その心のうちにある嘆きやかなしみを、声高に語ることはなくとも。

震災後の復興も同じことなのだと思います。
住む人の心の傷が癒えたから、街が復興したわけではないのです。



奇跡は、感情とともに、あるときに起きるのかもしれません。
人間の起こす奇跡は、感情というパワーがもたらすもののような気がします。


「癒さなければならない」という幻想から解放されて、わたしは自由になりました。

そして、今まで「癒された人」に対する憧れという幻想にしばられていた自分に気づきました。
そこには、あるがままの他者をうけいれるというやさしさがありませんでした。


足が不自由でも、耳が聞えなくても、つらい過去を持っていたとしても、
完全性が損なわれたわけではなかったのです。

他の人も、自分自身も。


治療すれば治るような傷を治療せずに、傷み苦しむ必要はありません。

でも、癒しても癒しても治らない傷みがあるとしたら、
その傷みとともに生きるという選択肢があり、
それは、とてつもないパワーを発揮するということをお伝えしたいのです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今日もあなたにすてきなことが、たくさん起こります☆
感謝をこめて。


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スピリチュアリストのお金とのしあわせなつきあい方☆_b0213351_1315343.jpg


今日のメッセージは、わたし自身への自戒をこめる意味でも、記録しておきたくて
分ちあうことにします。


「スピリチュアリストの使命は、手にするお金を増やすことではなく、
手にするお金の多寡にかかわらず、幸せでありつづけること」



少し前に「引き寄せの法則」がはやりました。

スピリチュアルブームは、「引き寄せの法則」のブームと重なりました。
「幸せなパートナーを引き寄せる」とか「幸せを引き寄せる」とか、
「豊かさを引き寄せる」という言葉に、わたし自身も引き寄せられたし、
それは魅力的な力のように感じました。


3.11の震災以前は。


あの震災のあと不思議なことに、
わたしの中でもなにかが変わり、降りてくるメッセージが変わりました。



占いの仕事は、人の悩みに寄り添う仕事ですが、
それは同時に、人の「欲」に向き合うことでもありました。

「あの人の気持ちを手に入れたい」
「好きな仕事に就きたい」

手に入れて、幸せになれれば、それでいいのです。
人は幸せに生きていく必要があると思います。


「貧すれば貪する」という言葉があるように
人は自分が満たされているときにしか、
他の人のことを考える余裕ができないものだからです。


でもあるとき、ふと疑問に思ったのです。

「望むものが手に入っても、幸せになる人とならない人がいるのはなぜなのか」


そして、
「決して満たされない欲」というものが存在することに気づいたのでした。


それは仏教では「渇愛(トゥルシュナー)」と呼ばれるものだそうです。
「喉が渇いて水を求めるように激しく執着すること」と辞書には書かれています。


欲しいものが手に入らないとか、大切なものをうしなうといった、
自分の思うままにならないことが「苦しみ」だとしたなら、
「渇愛」は、まさに「果てしない苦しみ」ともいえるでしょう。


どんなに喉が渇いていたとしても、水を求める欲望は、
喉の渇きが癒されて、お水でお腹いっぱいになればなくなります。

けれども、愛は、物理的な量のないものなので、
「満たされる」という基準がないぶん、「もう十分」という体験は自分の中だけの体験であり、
自分の外側から与えられることでは決して得られないものかもしれません。



愛と同じで、「満足」「十分」と思うことが難しいのは、
「お金」です。


どんなにお寿司が好きでも、自分だけなら1人前か2人前で「十分」と思えるでしょう。
たくさんあれば家族や知り合いにおすそわけ、というところでしょうか。

それが乾物になると「とっておく」ということになって、人によっては
「もっと」が増えるかもしれません。


でも「お金」はどうでしょう。
いくらあっても困らないし、あればあるだけ安心で幸せになれるような気がします。

お金も愛と同じで「物理的な満足」の基準が存在しないもののようです。


お金は便利で、わたしたちの生活を豊かにしてくれます。
だから、わたしたちはお金や経済的な豊かさを望み、それを幸せと信じて求めてきました。

ですが、お金を求める気持ちには限りがないという側面を知っていなければ、
わたしたちは、果てしなくお金を追い求める、
「渇きに似た苦悩」に、いつのまにか巻き込まれてしまいます。



本来スピリチュアルとは、全体と調和し、バランスをとっていく、
ワンネスを思いだすための智慧なのだとわたしは考えています。


ですから、スピリチュアリストはお金を引き寄せることを教えて、
お金のなくなる不安を解消するのが使命ではなく、

お金がなくては不安という、底なし沼のような不安から自由になり、
もっと欲しいという欲を手放して、安心して豊かに生きることこそが、
求められているのだと思うのです。


もっとシンプルにいうなら、
「お金があってもなくても、平和で幸せでいられる生きる智慧」
と言えるかもしれません。



わたしたちは今、なんでもお金で解決しようとしすぎている気がします。


「水道水がおいしくないからミネラルウォーターを買う」

少し前まで、わたしはそんなふうに考えていました。


川をきれいにすること、森をつくること。
枯れた涌き水を復活させること......

そんなふうに、環境に対して意識が向かなかったのです。
それくらい、余裕がありませんでした。


「農作物が足りなくなったら、海外から買えばいい」
と思っていました。

わたしたちの近くの農地の環境や、農業を営む人たちの生活に
思いを馳せることもなしに。



あらゆることをお金で解決しようとすると、お金が必要になります。

さらに、お金というエネルギーは、「十分」と思うためには、
「渇愛」ともいえる状態の欲と折り合う知性が必要ですから、
それを知らないと、知らず知らずのうちに「お金の奴隷」になってしまいます。



わたしは毎朝、明治神宮の森を歩くようになってから、
「わたし」が広がっていく体験をするようになりました。


明治神宮は、人の手によって荒れ地だったところにつくられた人工の森です。

立派な杉林ではなく、全国から寄せられたさまざまな樹木を植林した
この森の多様な植生に、この森に託した当時の人々の思いをかいまみては、
わたしはいつも、その壮大であたたかなビジョンに感動し、癒されます。


そして、そこで出会う人は、もはやわたしにとって
かけがえのない友人であり、家族のようで、
今日も元気な姿をおみかけするたびに
感謝の祈りを捧げずにはいられないし、

森で出会う動物や小鳥たち、そしてせせらぎの音を聞くたびに、
ああ今日もここに昨日と変わらず水がわいていることに感動し、
やはり感謝の気持ちが自然にわいてくるのです。


もしも、お金がなかったら、水も農作物も、
「買う」ことができません。

でも、きっとわたしたちの住む世界の水や大地をもっと大切にすることでしょう。



お金はいらないとか、
お金は罪だとか、悪だとか、
お金の是非を問うているのではありません。

お金そのものに価値の善悪は存在しません。
お金は、それをあつかう人によって、価値が決まるものです。



わたしたちが、欲に惑わされることなく、いつも幸せでいること。

物質世界に行き詰まりを感じるわたしたちに、
今いちばん必要なことだと思います。



最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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