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人生の階段の上り方☆_b0213351_17544849.jpg


前回のブログで、宮崎県の高千穂を訪れたことを書きました。
その際に、霧島霧島六社権現(鹿児島県、宮崎県)にもお詣りしてきました。



霧島六社権現は、霧島神宮、霧島東神社、東霧島神社(つまきりしまじんじゃ)、狭野神社、霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)、夷守神社(ひなもりじんじゃ)の6つの神社のことで、
夷守神社は霧島岑神社に合祀され、現在は5社になっています。

その中で今日は、東霧島神社で感じたことをお話ししたいと思います。


東霧島神社には鬼が一夜で積み上げたという石段、鬼磐階段があります。
この石段は、「振り向かずの坂」とも呼ばれ、
僧侶が、一心に呪文をとなえながら階段を上り、修行したそうです。

170段ほどあるこの石段、「振り向かずに上る」というのは意外に難しいのです。

はじめは気合いが入っていますが、疲れてくると、不思議と
「どれくらい上ったのかな」と振り返りたくなってしまいます。


雨上がりの石段でしたので、すべるらないよう、とにかく一歩ずつ踏みしめて無心に上りました。


神門に無事たどり着いて、ふと見上げると、大きな龍が上から見守ってくださっていました。


この石段の途中には、猿田彦大神、大国主命、霧島六社権現をお祀りしてあることは
知っていたのに、目に入らず。

わたしたちが、気にしていても、いなくても、
いつも神さまは静かに見守ってくださっている、
そんなことも感じたのでした。


今回の取材旅行ではたくさんの石段を上る機会がありましたが、
不思議なことに、振り返りたくなるのは、いつも上りで、疲れたころ。


下りのときは面白いほど振り返りたくなりません。
残りの距離が気になることはきっと同じはずなのに、です。



人生でも、過去を振り返るときは、やっぱり「今」がうまくいっていないとき。

先が気になるのもまた、しんどいなぁと感じたときなのです。


ただ、「今」のこの一歩を踏みしめて、大事に歩いていったらいいんだな、
後ろにも、前にも気をとられることなく、ただただ歩いていったらいいんだな、
そう感じたのでした。


さて、東霧島神社の石段を登って、願いごとが叶ったかどうか、ですが、
今はわたしは願いごとを持たなくなったので……。



そのことについてはまたの話題にしたいと思います。



最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今日もあなたにすてきなことが、たくさん起こります☆
感謝をこめて。

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遣いきらないで、分ちあう☆_b0213351_214411.jpg


先日取材のお仕事で高千穂に行ってきました。

高千穂は、邇邇芸命(ににぎのみこと)が降り立ったという伝説(天孫降臨)があったり、
また、天照大神(あまてらすおおみかみ)がお隠れになった岩戸や、
岩戸におこもりになられたために真っ暗闇になってしまったことに
困りはてた神様たちが集まって相談した場所といわれる場所があったりと、
多くの由緒ある神社が点在しており、日本神話のふるさとともいわれる場所です。


わたしが訪れた時期はちょうど田植えが終わった棚田の美しいころで、
水をたたえた青い田んぼが迎えてくれました。


昔、農業をやっている友人が、
「米は、ほとんど手をかけずにできる」と教えてくれたことがあります。


この日も田植えが終わった田んぼには人影は見えませんでした。
山から湧き出た水に満たされた田んぼに、太陽が降り注いでいて、
本当に土地の神様がお米を育ててくださっている、
そんな感じがいたしました。



聖書にも「空を飛ぶ鳥を見よ、播かず、刈らず、倉に収めず、
然るに汝らの天の父はこれらを養いたまう」
という言葉がありますが、

日本では稲作は、まさに神がわたしたちを養ってくださっているという
象徴的なできごとなのかもしれません。



お金とのつきあい方についてよくご質問を受けますが、
お金とのつきあい方も、稲作にたくさんのヒントがあるように感じます。


たとえばお米の種は、お米です。
籾を大事にとっておき、来年また、まくのです。

全部食べてしまったら、来年まく籾がなくなり、お米を収穫することができません。


また、お米を作る人は、自分の分だけでなく、家族の分、親族の分、そして集落の人の分と、
自分以外の分も多めに作って、お互いに融通しあいます。


海の近くに住む人は、獲れたさかなを農作物と交換しました。
塩だったり、米だったり、野菜だったり、
採れた米をお酒にしたりと、
縁のあるものを少し余分に人の分までつくって、それを交換したのが
経済のなりたちです。


そしていつのまにかモノとモノとの交換が、お金という便利な道具に置き換わっただけでした。


都会にいてお金との交換に慣れてしまっていると、すっかり忘れていますが、
わたしたちは、稲穂のお世話を神さまにしていただいているように、
わたしたちの才能という畑のお世話を、やっぱり天の力でしていただいているから、
それを分ちあうことができているのです。

自分の力だけでやっていることなどなにひとつありません。


お金という道具があまりにも便利すぎて、わたしたちは、
忘れてしまっていることがあまりにも多いような気がしてなりません。


お金だけをみていると、お金が「種」だと思うことはなかなかありませんから、
籾をとっておく、ということが来年の収穫のためにあたりまえのことであっても、
お金を遣いきらないことの大切さを思いだすことは少ないですし、

わたしのいただいたお金と、あの人がいただくお金は、同じものにみえますから、
あの人に分け与える、ということの大切さも、思いだすことはなかなかありません。


でも本当は、わたしが天からいただいたお仕事と、
だれかが渡されたお仕事は、それぞれ違っていて、
それを分ちあうことが、わたしたちの生活を豊かにしてくれているのです。


お米が天に育まれているように、
わたしたちの才能の畑もまた、天に育まれています。


感謝してうけとること、
出し惜しみなく、人のために遣うこと、
豊かさは、そんな気持ちを思いだしたとき、自然にあふれ出すのかもしれませんね。


今までもずっと、そうであったように。




最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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人生という宝石箱の詰め合わせ方☆_b0213351_1947724.jpg


今日は、あるときみたひとつのビジョンをシェアします。


ガラスでできた瓶のなかに、
ぎっしりと大きな宝石や小さな石、小さなビーズ……

いろんなサイズの石がぎっしり入っています。


そのガラスの瓶は、ちょうどわたしたちが体を離れてお骨になったときに入る、
骨壺ぐらいの大きさでした。


そして、その瓶をひっくり返して全部中身を出して、その持ち主が、
その瓶に中のお石を詰め直していました。


とてつもなく大きな宝石がいくつか、ちょっと小さめの宝石がいくつか、
砂みたいなビーズ、それぞれをどんどん入れていきます。


ルールはただひとつ、「やり直しはできない」ということ。
いったん入れた石を出して入れ直すことはできません。


多くの人がそれぞれの瓶にお石を入れる作業をしており、
全部入れられる器用な人と、全部は詰めきれずにいっぱいになってしまう人、
いろんな人がいました。


全部詰めきった人は、晴れ晴れとその瓶に蓋をして、新しい瓶をもらっています。
そして、石を残した人は、新しい瓶に自分の気に入った石を入れ、
さらに別の小石を詰め込んでゲームにチャレンジする、

そんなビジョンでした。



その様子をみていて、
ああ、このゲームは、人生そのものなのだと感じたのです。


はじめに入っているのが、今世うまれる前に決めた計画。

大きなものは、使命につながるような絶対やりたいこと。
そして中くらいのもの、小さいもの、とあって、人生という瓶にぎっしり詰めてくる。


そして地球に生まれ落ちた瞬間、この瓶をあけ、もう一度詰め直すゲームが、人生なのだと。

多くの人が、小さな石のほうが数がたくさんあるので、そちらが目につき、
小さなものから詰めてしまいます。
すきまが残り少なくなったとき、大きな石がまだたくさん残っているのに気づいて、
あわてて大きな石を詰めはじめます。


でもたいていはいくつか残して、
もしくは大きな石をほとんど詰めることなく、
満杯になってしまい、ゲームオーバーになるのです。


そして、残った石の中から、どうしてもトライしたい石だけはもう一度
新しい瓶に入れてこのゲームをやり直すことができる。

それが、過去世からもってくるカルマっていうものなのかもしれないなぁ、
そう感じたのでした。



このゲームの必勝法はただひとつ、
「大きな石から入れる」ことです。

大小、とりどりの大きさのものを少しでも多く詰めようとするなら
大きなものから入れることが鉄則です。


人生も本当にそうだなと思います。

キラキラした魅力的な大きな宝石から入れればいいのだなと。
もちろん、小さな石を下敷きにしたほうが、宝石が傷つかなくて済んだり、
石と石のすきまに小さなビーズを詰めておいたほうがいいということもあるでしょう。


でも大切なものを大切にしていないと、大切なものを残したまま、
人生という瓶がいっぱいになってしまいます。



このビジョンをみたとき、ほかにこんなヒントをもらいました。

それは、
「パートナーを迎えいれると、パートナーとそれぞれの瓶をシェアできる」
ということでした。


残りのすきまをお互いに活用しあって、
ふたりにとって大切な石をお互いのスペースを譲り合いながら詰めていくと
ひとりでやるよりずっと多くの石が入るということです。


それと、今回のゲームがあまりうまくいかなくても、
また次のゲームが用意されていて、
「新しい石」ではじめるか、「今持っている石」をもう一度使うかの違いだけだということ。


たとえば今回の人生で、「音楽の才能を人のために活かしたい」と決めた石があり、
それが入らなかったときは、自分でもう一度、
「次の人生でやりたいか」を決めるチャンスがあるということです。


わたしがみたビジョンで、たいていの人は、
やり残したことを「やっぱりやりたかった」と思うようで、
「やり残したこと」の多い人ほど、次のゲームに同じ石を入れていました。


そうやってゲームを繰り返しているうちに、古びて輝きを失ってしまった
大きな石もあります。

それは執着でそこにあるだけで、最初に入れたときのときめきがありません。
「やんなくちゃ」と思っている仕事や、
「心が動かされるけれど、苦しい恋愛」などが
この石なのかなぁという感じがしました。



わたしは以前、メンターからこんな言葉をいただいたことがありました。

「人生を終えて地球から離れるとき、振り返って見えるものは、
真実の愛をどれだけ表現したかだけ」


つまり、自分の人生で石をどれだけの量を詰めたかではなく、
生まれでるときに宇宙(神)と約束した使命、つまり輝く大きな石をどれだけ表現したか、
ということを教えてくださったのです。



その当時わたしは、どうしてもやりたいけれど、
自分勝手で人に迷惑をかけることばかりやっていたのです。

たぶん、大きいけれど古びた石——カルマと言ってもいいと思うのですが——
そんな石をたくさん瓶に詰めていたのだと思います。



それでも、わたしはよかったと思っています。
多くの人は、小さな石は、残っていても、もう一度入れたいとは思わないようで、
大きなものを入れることをしていると、自然にたくさんの石をつめることができ、
満足のいく瓶詰めができあがっていくからです。



もしあなたの人生が、つまらないこと、やらなければいけないことばかりだったとしたら、
あなたが持ってきた石たちをじっくり観察してみてください。

あなたの心がときめくものが必ずあるはずです。

はじめは小さなものしかみつからないかもしれません。
わたしたちは、人生の瓶詰めのゲームで大きな石を集めることは苦手みたいだから。


でも少しずつ、美しいものを入れていこうと決意すれば、
自然に美しいものに目がいくようになり、
大きな石を入れていけるようになります。


大切なものを大切に。

わたしは、このビジョンをみたとき、心からそう思ったのです。




最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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相手の顔色をみるのではなく☆_b0213351_12242535.jpg


人の顔色をみていませんか。


「相手の顔色をうかがう人ほど、うまくいっていない」

わたしはご相談を通してそんな現象に気づいていました。


相手を思いやる気持ちは、とても愛おしいもので、
思いやりを持って接してもらえると、誰だってうれしいはずです。

なのに、相手の気持ちに敏感で、
顔色をうかがっているような繊細な方が直面している現実は、

ぞんざいな態度をとられたり、
無関心でいられたりと、
明らかに「拒絶」を受け取っています。


それだけではありません。

自分の力量以上の仕事を押し付けられて苦しくなってしまったり、
人間関係にストレスを感じていたりと、

現実すべてが、あきらかにネガティブなスパイラルに入ってしまっているように感じるのです。



ずっと不思議に感じていたのですが、あるとき、ふと気づいたのです。

「人の顔色をみてはいけない」と。


どんな人も、「誰か」をみるとき、自分の思い込みを通してみています。
つまり、「自分のみているあの人」は、自分オリジナルの「あの人」であって、
本当の「あの人」ではありません。

Aさんのことを、子煩悩でやさしい人と思う人もいれば、
育児を理由に仕事に穴をあけて、無責任な人と思う人もいます。

Bさんの服のセンスを絶賛する人もいれば、
音楽の知識に疎いことに注目する人もいます。

結局、「あの人」はどんな場合も、自分自身の「投影」であって、
「相手」ではないのです。


だから「嫌われているのでは」と思う気持ちで相手をみていたら、
当然、「嫌われているかもしれない」という自分自身の恐怖を相手の中にみてしまいます。


だから、ちょっとしたことでも、
「嫌われているかも」という恐怖を確信する方向に意識を向けてしまい、
それがどんどん現実になるのです。


それに、相手の顔色をうかがうというのは、自分自身の影におびえるようなもの。

そんな恐怖の中にいて、本当に相手を思いやる言葉をかけたり
喜ばれることをする、というのは難しいはずです。


実際に、たとえばお皿を洗う仕事をしていたとして、
意識のほとんどを、「相手からどう思われているか」に費やしていたとしたら、
お皿を洗うことにどれだけ集中できるでしょうか。


人は意識を向けた方向にエネルギーをつかってしまいます。
ですから抱えていることが多くなればなるほど、気になることが大きければ大きいほど、
手元がおぼつかなくってしまうのです。


本当は「相手」など存在しないのです。
わたしたちは、たったひとつのいのちをシェアして生きていて、
「相手を思いやる」というのは、あえていうなら、「相手の本当の姿」をみるということ。


それはすなわち、本当の自分、たったひとつの「神」の顔色をみるということです。
天の流れに従って、それに喜ばれるように生きていることが、
運のいい生きかたといえます。


相手の顔色をどんなにみても、そこに見えるのは、
自分自身の恐れだけです。


相手のうしろにある、神の顔をみるようにしませんか。

それは、恐れのない、自分自身をみる、ということなのです。




最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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困った家族に悩まされているあなたへ☆_b0213351_12421764.jpg


今日は、「困った家族」を抱える方に向けて、お話しします。

「それってわたしのことを言ってるんじゃないの?」
と思われる方が多いかもしれません。


すごく個人的な話のように感じることですが、
実は多くの人が「なんで自分だけが?」と思っています。

ですが、本当は法則といっていいくらい「よくあること」なのです。




「礼儀知らずのお嫁さんにうんざりしている」
「不甲斐のない兄をみていると腹が立つ」
「弟が引きこもっている」
「わたしがいないとなんにもできないダメな娘」
「夫がギャンブル依存」……


そんな「困った家族」に悩んでいる、という方は実に多いものです。
家族に関する悩みは、「家族のなかのトラブルメーカー」に対する悩みと言っていいと思います。


トラブルメーカーは、とにかくいつも問題ばかり起こし、
「彼さえよくなってくれれば」と、相談者は
「彼をなんとかしよう」と躍起になっているのですが、

がんばればがんばるほど、
トラブルメーカーの彼は次々と問題を起こすのです。


わたしがお会いしたり、電話で相談を受けるのは、ほとんどの場合、
問題を起こしている本人ではなくて、
問題を起こしている家族を抱える方です。


これもあとからお話しする「逆のものを引き寄せる」バランスだからとも思います。
わたしは、「問題を起こすタイプ」のほうなので、
トラブルメーカーの彼の気持ちがとてもよくわかることもあったりします。


ある頃からご相談者の方に共通の特徴があることに気がつきました。

それは、みんな「いい人」だということです。


暴力ばかりふるうパートナーをもつ奥さんは、とてもけなげな働き者だったり、
お金の問題を抱える家族を持つ人は、経済的にものすごくキッチリしている人が多かったり、
ルールを守らないルーズな兄弟姉妹に悩んでいる人は、警察官みたいに厳格だったり。


足して2で割るとちょうどいい、くらいに真逆なタイプだったりするのです。


「清濁併せ吞む」ということわざがあるように、バランスのとれた人というのは、
ネガティブ(にみえる)エネルギーも、
ポジティブ(にみえる)エネルギーも、
自分のなかに持っています。


ですが、家族の問題を抱えているときは、
「家族」というグループの中で、バランスをとっているかのように、
「いい人」と「悪い人」が存在しているのです。


それも、けなげな奥さんであればあるほど、ご主人のダメっぷりがひどいという具合に、
反比例するかのように、陰陽のバランスをとっているようです。



わたしには、「○○家の良心」といわれるような友人が何人かいます。
(最近は真逆の友人もいますが……)

わたしはどちらかというと奔放に好きなように生きてきたので、
よくそんな彼らからはもちろん「お説教」されます。

もちろん大人になると、他人が注意してくれることはほとんどないので、ありがたく聞きますが、
まるで裁判官と話しているみたいで、面白いなと感じます。


もちろん彼らの悩みは「困った人たち」。
多くは、家族の中にいる「トラブルメーカー」。

彼らが「正義のヒーロー」であるために、
「困った人たち」という悪役を必要としているように見えました。
そんな困った人たちの中に、わたしも入っているわけです。


でもあるとき、そんな友人のひとりが、ありえないような遅刻をしてきました。
最初に約束していた時間から数時間。
さらに、来てからずっと話していたのは、
「困った人たち」がルールを守らないことだったり、
お金にルーズだということだったり。

「なんとかしたい」。
その友人の根底にあるのは怒りの感情でした。

話を聞きながら、わたしはちょっといらっとしていました。
なぜなら、その日の彼も、わたしにとっては「マナー違反だったから」。


「何時間も遅刻して電話一本よこさないなんて……」
「遅くなるかもしれないなら、はじめから言っておいてくれたら
早い時間から仕事を切り上げずに済んで、もっと仕事できたのに……」

そんなふうにこだわって、いらだっている自分をみていました。


ふと彼の言うことを聞いていて気づいたのです。

人は自分が腹を立てていることを、無意識に自分もやっていて、気づいていないだけなんだ、
腹を立てていることこそ、自分が無意識にやってしまうことなんだなと。


次の瞬間には、今までたくさん無意識にやってしまった過去の自分の失敗が思いだされました。
大きな遅刻をしたとき、そのときに待たせた相手がどんな感情を持っていたのか、
相手の仕事や経済状況につい甘えてしまっていたこと、
離れていった人の思いや、そんな自分を受け入れてつきあってくれている友人への感謝など、
たくさんの思いが通り過ぎていきました。

「人を否定したり、非難したりしていると、自分に返ってくる」ということを
心から実感したできごとでした。



「大人だから、他人だから、言われなかっただけなんだ」


そして、友人たちがそっとしておいてくれたことに対して感謝すると同時に、

家族ってやっぱりすごいなと思ったのです。


友人は選ぶことができますが、家族は選ぶことができません。
もちろん魂レベルでは選んでいますが、「嫌だから」と縁を簡単に切れるものではありません。

つきあいの仕方は選べますが、「家族である」という事実は変わりません。


わたし自身を振り返ってみても、
「ダメな夫」を創ったり、はたまた、「完璧な夫」を創ったりして、
そのたびに結婚生活がうまくいきませんでした。


わたしの中で「ダメな自分」を認められなかったときは、ダメな夫を創り出し、
「ダメな自分」が自分なんだと信じて、自分の完全性を否定していたときは、
完璧な夫を創り出していたように思えます。


そうして、「家族」という単位のなかで、バランスをとっているんだな――

いろんな人の話をお聞きしていてそう思うのです。



本当に「いい人」だとしたら、怒ったり困ったりしません。
投影するものがないからです。


自分以外の誰かを「なんとかしよう」と思っているとき、
わたしたちは、結局は自分自身の「ダメなところ」を否定していて
魂が「苦しいよ。なんとかしてよ」と自分自身に訴えてきているだけなのかもしれません。


本当に助けるべきなのは、困った誰かではなく、自分自身。


ほんとうは起きたことに、いいも悪いもないのです。
善悪を判断しているのは、エゴにほかなりません。


救いを求めているのは「困った人」に悩んでいるあなた自身。
「困った人」という当の本人は、実は困ってなんかいないのです。

困っているあなたご自身こそが、救われたいと願っています。


相手をゆるすことは、自分をゆるすこと。
今のわたしは心からそう思えるのです。



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